食べても食べなくても

1コリ10:28「しかし、もしだれかが、「これは偶像にささげた肉です。」とあなたがたに言うなら、そう知らせた人のために、また良心のために、食べてはいけません」
10章でもまだ肉のことについて、食べるのか、食べないのかを話しています。それだけこの問題は大きなことだったのでしょう。エルサレム会議の決議は、コリントの人たちに対しても有効な決定だったようですが、パウロはさらに突っ込んで説明しています。なんだか江戸時代の踏み絵を思い出します。信仰があるならキリストの絵を踏めないはずです。なぜなら、キリストの絵は偶像に値するものでも、行ないそのものは信仰を試されているからです。そういう意味で偶像に捧げた肉だ…と知らせてくれた人の前で、あえて食べる必要はないだろう、とパウロは言っているのです。信仰があるなら、食べても食べなくても、その人は神の人です。しかし人をつまづかせたり、落胆させたりする必要はありません。すべてが神の栄光につながるように、自分の利益を追求するのではなく、他の人に仕えるようにするべきです。それはイエス様が言われたことと一致するからです(マタ20:26)。