この世の知恵でもなく

1コリ2:6「しかし私たちは、成人の間で、知恵を語ります。この知恵は、この世の知恵でもなく、この世の過ぎ去って行く支配者たちの知恵でもありません」
「成人」のギリシャ語は「teleios(テレイオス)」は「成熟した」以外に「終わりをもたらす」とか「完全」という意味もあります。ある程度経験のある人には「知恵」の言葉は心に響くものかも知れませんが、成熟したひとに語るにはそれなりの奥義を語らなければ、納得してもらえないでしょう。しかし、パウロは「知恵」を封印し、自分の持っている知識は「イエス・キリストの十字架」以外にないとしたのです(2)。それはコリントという特殊な街にいたからだと思います。コリントでは一致がなく(1:12)、クリスチャンでありながら不品行で貪欲な者、偶像を礼拝し、人をそしったり、酒に酔い略奪する者(5:11)がいたことです。手紙の中にはそういうものがいたら付き合ってはならない(5:11)と書かれています。パウロは「私は弱く、恐れおののいていました(3)」と書いています。人間関係が難しければ難しいほど、神の知恵が必要になってきます。「神のみこころのことは、神の御霊のほかにはだれも知りません(11)」とあるように、聖霊によって教えられなければみこころを知り、知恵のことばも語れないのです。