購いの血と十字架

レビ17:11「なぜなら、肉のいのちは血の中にあるからである。わたしはあなたがたのいのちを祭壇の上で贖うために、これをあなたがたに与えた。いのちとして贖いをするのは血である」
確かにイエス様は十字架にかかり死にました。しかし祭壇の上でほふられたわけではありません。十字架にかけられ死んだ際に、兵士たちが死を確認するためにすねを折ろうとしましたが、イエス様は完全に亡くなっていると判断しすねを折りませんでした(ヨハ19:33)。傷のない体はそのままだったのです。しかし次の節ではわき腹を槍で刺しています(ヨハ19:34)。これは2つの聖書の予言が成就するために起きたことです。1つは「彼の骨は砕かれることはない」という詩篇の言葉(詩34:20)、もう1つは「彼らは突き刺したものを見る」という予言です(ゼカ12:10)。そして十字架のもっとも大切な意味は「木にかけられた死体は、神に呪われたものだからである(申21:22)」というもので、イエス様は罪がないにもかかわらず呪われたものとなりました。死にいたるまで従順だったイエス様の十字架は呪いの象徴ではなく、罪を木にかけたシンボルとなったのです。荒野で杖にヘビをかけたものを仰ぎ見たものは癒されたのです(民21章)。木と祭壇、血と火…聖書を熟読する人ならこれらの意味がわかるはずです。