イエス様のこと?

ヨブ33:29-30「見よ。神はこれらすべてのことを、二度も三度も人に行なわれ、人のたましいをよみの穴から引き戻し、いのちの光で照らされる」
「これらすべてのこと」は何でしょうか?まず、主は人を見張っています(11)。そして、祈りにはある方法(あるいは他の方法)で語られます(14)。さらに、人から悪を取り除き、高ぶりから離します(17)。それでも人が神から離れるなら、人を床の上で痛みによって責め、その骨の多くをしびれさせます(18)。最終的には人のたましいはよみの穴に近づき、殺人者がその人のいのちを狙い、彼のいのちは風前のともし火のようになります(22)。しかし、ここで不思議な表現をエリフは語ります。ある代言者(メッセンジャー)がいてその人のために弁護するのです(23)。そうすると神は「わたしは身代金を得た(24)」と彼を購い、よみに下らせないで、いのちの光を見る(30)…と書かれています。身代金のヘブル語は「kopher(コフェル)」でいのちの代価という意味もあり、あたかもこの話がイエス様の十字架のストーリーになぞらえているかのようです。もちろんイエス様の十字架はただ一度の出来事ですが、イエス様は信じる者のために常に父なる神の右の座にいて、私たちを弁護していてくださいます(1ヨハ2:1)。二度でも三度でもよみの淵にいる者たちへ、救いの手を差し延べ、ある時は苦しみを、ある時は神の前で弁護士となり、いのちが滅びに至らないように最善を尽くしていてくださいます。