2番目のマナ

ヨハ6:63「いのちを与えるのは御霊です。肉は何の益ももたらしません。わたしがあなたがたに話したことばは、霊であり、またいのちです」
ここでも2番目の法則が働いています。聖書は「予兆」と「成就」で成り立っており、最初のものは2番目に来るものを「予兆」しているのです。マナはイスラエルの民が荒野にいたときに天から降り、おそらく3百万人いたであろう人々を毎日養いました。しかし、結局マナを食べた人々は寿命が尽きて死んでしまったのです(49)。最初の天からの食物は生きながらえる時間を稼いではくれましたが、永遠に生きることができたわけではありませんでした。イエス様は自らを天からの食物だと言われました(35)。2番目の天からのマナは、肉と血を持ち、いのちの言葉を語り、この言葉で人を養うようにされました。それで、イエス様は自分の肉を食べ、血を飲むものは永遠の命を持つと言われたのです。もし仮に、弟子たちが想像したように、カニバリズム(人食習慣)であるなら、イエス様の体を数十人で分けた段階でなくなってしまいます。5千人の給食と、天からのパンの教えが同じ6章にあるのは偶然ではありません。イエス様は弟子たちに、どうやって天から来たパンが多くの人に行き渡るかを実証して見せていたのです。イエス様の肉を食べ、血を飲むことは、彼らには理解ができなくても、信仰を持つ人なら必ず理解できる比喩なのです。