大水も洪水も

雅歌8:7「大水もその愛を消すことができません。洪水も押し流すことができません。もし、人が愛を得ようとして、自分の財産をことごとく与えても、ただのさげすみしか得られません」
愛は金では変えないことはソロモンも理解していました。知恵と愛はうまくかみ合わないものなのです。どんなに知恵がありIQが高くても、愛は理解できません。神の愛が雅歌に書かれているように、どんな大水も洪水も愛を消し流すことができないのなら、誰がその愛を引き離すことができるでしょうか?神は人を愛されました。それはどんなに人が理解しようとしてもはるかに理解を超えているものです。神は愚かにも自らの子のいのちを差し出し、それと引き換えに人のいのちを救われました。神ほど知恵のあるお方の行動とはとても思えません。それは神が愚かになるほど人を愛されたことを表わしています。神は人にいのちを与え、その大事さを教えました。いのちは大切、いのちは最高の喜び…そのいのちを失うことほど悲しいことはありません。ましてや他人のためにそのいのちを犠牲にすることなど、誰にも理解できないことです。「人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛は誰も持っていません(ヨハ15:13)」とイエス様が言われ、その言葉とおりに十字架に架かられました。十字架の愛は知恵では理解できません。それこそ神の知恵だからです。