ダビデのように求めてみる

詩13:1「主よ。いつまでですか。あなたは私を永久にお忘れになるのですか。いつまで御顔を私からお隠しになるのですか」
ダビデはよく、このように主への願いを歌に込めます。「いつまで」とは、悪者の悪事が長期にわたって行われていることを示しています。人生の中で何もうまくいかないときもあるでしょう。いつも結果が思うようにいかず、主に祈ってもなかなか事態が好転しない場合があります。悪者の悪事が目に余ったとしても、主にはご計画があります。また、長い間祈りに応えられないのは、主が何かを教えようとしているのか、あるいは祈りそのものが御心にかなっていない可能性があります。ダビデほど主を愛し、愛された者はいないと思いますが、彼ほどの信仰者でも人生の中で迷い、苦しむことがあるのです。それでもダビデが悩んだときに、最後に拠り所としたのは主ご自身です。もし、ダビデの人生がすべてうまくいき、一度の挫折もなく、悩みも苦しみもないものだったらどうでしょうか?人は順風満帆のときには神を求める飢え乾きが薄れていくものです。人生に壁があり、谷があるから、それを乗り越えた喜びを知ることができ、再び山を目指して登ろうとするのではないでしょうか?一生続く悩みなどありません。苦しみの中にも喜びは訪れることでしょう。ダビデの姿勢は主を求める基本の要素が詰まっていると思います。