詩篇138篇 あなたの右の手が私を救って

詩138:7「私が苦しみの中を歩いても、あなたは私を生かしてくださいます。私の敵の怒りに向かって御手を伸ばし、あなたの右の手が私を救ってくださいます」
いつのころからか「神の右」特に「神の右の手」に強い力があり、救い、勝利を導くものとして聖書の中に書かれています。ごく初期の記述としてはモーセイスラエルの民の祈りの中で「主よ。あなたの右の手は力に輝く。主よ。あなたの右の手は敵を打ち砕く(出15:6)」というものがあります。詩篇の中で主の「右の手」に触れているのは、圧倒的にダビデの詩が多く(17、18、20、21、26、60、63、108、144篇など)次いでコラの子(44、45、47篇)、アサフ(73、77、80篇)となっており、それぞれ神の右の手について書かれています。モーセ5書、ヨシュア、士師、ルツ、サムエル、列王、歴代と多くの書簡の中ではなく、ダビデの詩の中に書かれているのは、ダビデの思いの中に「神の右の手」が特別な意味を持っているからだと思います。ただ神の手をのばすのではなく、「右の手」というのに深い意味があるようです。イエス様は神の右の座に着かれ(マコ16:19)、イスラエルでは主賓を招待主の右に座らせるのが慣わしになっています。英語の「right」は「右」という意味と同時に「正しい」という意味もあります。神の右側は正しく、いつわりのない側なのです。