救われたからこそ

ロマ7:20「もし私が自分でしたくないことをしているのであれば、それを行なっているのは、もはや私ではなくて、私のうちに住む罪です」
救われたなら立派なクリスチャンになって、罪も犯さなくなる…などと考えているなら大間違いです。あるいは長い間クリスチャンでいるなら、罪とは無縁の生活をしているに違いない、と思い込む人もいます。パウロ自身が自分の思い通りにはならないことを告白しています。それは肉の思いで罪が自分の神に忠実になろうとする思いを妨げているのだ、ということです。結局、人は神とともに歩み、いかなる場合も神に拠り頼って生きる以外に方法がないのです。「神様にばっかり頼って、申し訳ない」…と思わないことです。いつも人と交わりを持とうとする神の姿勢が、人の罪を作ったと言っても過言ではないからです。自分の弱さ、欠点を見つめることによって、神は浮き出てきます。弱ければ、弱いほど神を頼ろうとするからです。自信満々の人、高慢な人、金持ちで苦労をしたことがない人などは、神を求めることがないでしょう。むしろ、他人が自分をあがめるように、圧力をかけようとします。心は神に仕えていても、思い通りにならないところに福音のおもしろさがあるのです。誰もが救われたらおしまいで、それ以上の人格の成長を望まないのなら、人は祈らなくなってしまうでしょう。救われたからこそ神との交わりが重要なのです。