愛の貸し借り

ロマ13:8「だれに対しても、何の借りもあってはいけません。ただし、互いに愛し合うことについては別です。他の人を愛する者は、律法を完全に守っているのです」
借りはギリシャ語では「aphelio(アファイリオ)」となっており、おもにお金を借りる意味に用いられています。一見、誰に対しても借金があってはならなことと、愛し合うことにつながりがないように思えます。しかし、イエス様の十字架を考えるなら、わたしたち人間はとんでもない借りをイエス様に負わしたことになることが理解できます。よく「このご恩は一生涯忘れません」などと聞くことがありますが、まさしくイエス様がしてくれたことは、どんなに返そうとしても返せないご恩だと思います。親切をするときに「この人に恩を売っておけば、後で有利になるだろう」などと、損得の勘定をする人たちがいます。無条件の愛ならば、たとえ損をしたとしても、誰かを助ける行ないが喜びに変わるはずです。愛があれば、献金も苦ではなくなるでしょう。ある人は献金は貯金だとか、やがて何倍かに返してもらえるものだと勘違いしています。パウロが言うように「愛」がすべての律法を全うするものならば、愛の貸し借りは大賛成です。困っている人を見返りなしで助けるなら、助けられた人が無条件の愛で別の人を助けてあげるようになり、愛の輪は広がっていくでしょう。教会はそのような場所であってほしいと考えます。