主は聞いてくださる

詩4:3「知れ。主は、ご自分の聖徒を特別に扱われるのだ。私が呼ぶとき、主は聞いてくださる」
確信をもって「私が呼ぶとき、主は聞いてくださる」と言える人は何人いるでしょうか?苦しい時なら主を心から呼び求めることは簡単でしょう。しかし常に主と自分との関係が強くつながっていると確信を持てる人は少ないと思います。いつも主との交わりを怠けているのに、呼び求めた時だけ聞いてもらうのは虫がいい話です。ダビデは確信がありました。それは「主はわたしの味方だ」という確信です。ダビデは何回も罪を犯し、主の前で悔い改めました。本来なら、失敗を繰り返したことで、主から嫌われているかも知れないと思い勝ちです。しかしダビデは違っていました。主には選びがあり、主の選ばれた民は特別なのです。自分は主から召しだされ、主に呼ばれ、主に愛されているのだ…これが確信です。「私」が呼ぶときに、主が聞いてくださると思えるのは、常日頃のデボーションの結果だと言えます。苦しい時だけでなく、楽しくうれしい時も、主と分かち合える人生を送りたいものです。