詩篇142篇 前に自分の嘆きを注ぎ出し

詩142:2「私は御前に自分の嘆きを注ぎ出し、私の苦しみを御前に言い表わします」

ダビデの人生が順風満帆で、いつも主の恵みでハッピーだったとは聖書を読む人ならそうは思わないはずです。何よりも主に油そそがれたサウルから追われることは、ダビデにはとても辛いことだったと思います。人生には山あり谷ありで、主の箱を自分の幕屋に運ぶときなどは、うれしく力の限り喜び踊ったとあります(2サム6:5)。反対にサウルに追われているときは、なかなか心が休まらず、この詩篇のように絞り出すように自分の境遇を訴えています。イエス様も祭司たちに捕らえられる前の祈りでは、「苦しみもだえて、いよいよ切に祈られた。汗が血のしずくのように地に落ちた(ルカ22:44)」と書かれています。闇があるから光が輝くように(創1:2-3)、苦しいときがあるから、それを乗り越えたときの喜びが輝くのです。それは人の努力で乗り越えられることもあるでしょう。しかし、神を信じる者にとっては喜びも悲しみも神とともに生きるという特権が与えられています。自分の悩みを誰も聞いてくれないとは思わないで、ダビデのように自分の心のうちをご存じのかたがおられることを知り、心からあふれる自分の感情を流しだしてみてはいかがでしょうか。それは「信仰」で、神は実際にともにいてくださるのです。