サウルは預言者なのか

1サム19:24「彼もまた着物を脱いで、サムエルの前で預言し、一昼夜の間、裸のまま倒れていた。このために、「サウルもまた、預言者のひとりなのか」と言われるようになった」
預言者の一人か、と呼ばれるようになったのはこれで2回目です(10:12)。なぜ神の霊がサウルに臨まれたのでしょうか?サウルは神の悪い霊も受けやすい体質でした(9)。サウルが霊的な人であることは間違いないようですが、それは良くも悪くも霊に感じ、霊に左右される特異な体質であり、それゆえ神もサウルを王に選んだのだと思います。ご自分の霊の力をしっかり受け止め、反映するような人は神の選んだ王にふさわしかったのでしょう。しかし、サウルは自分で霊のコントロールができなかったのです。また、自分が霊に左右されることも理解していました。それゆえ、サムエルが亡くなったとき、サムエルの霊を呼び出してまでうかがいを立てようとしたのです(28章)。本来なら主からの預言の霊を受けることができるほど霊的な人であるならば、主にうかがいを立て、最後まで預言者サムエルに頼ろうとはしなかったはずです。サウルの態度は、一種の偶像崇拝にも似た感覚だったと思います。それはクリスチャンにも言えることです。聖霊を受けたからといって、それで終わりではありません。異言を語れるようになったからといって霊的にすぐれているわけでもありません。聖霊に拠り頼み、聖霊に従う人生を歩んでいるかが問題なのです。