1サムエル9章 さあ、予見者のところへ行こう

1サム9:9「昔イスラエルでは、神のみこころを求めに行く人は、「さあ、予見者のところへ行こう」と言った。今の預言者は、昔は予見者と呼ばれていたからである」
預言者は神のことばを預かり民に伝える者のことです。代表的な預言者モーセだと言えます。一方、予見者という言葉は馴染みが薄く、サムエルに対してと、アサ王の時代のハナニにだけ使われている言葉です。ヘブル語では預言者は「nabiy(ナビー)」で、予見者は「roeh(ロエー)」が使われています。英語「prophet」にたいして予見者は「seer」という単語が使われています。「seer」の意味は「先を見る人」や「幻」という意味があります。サムエルの時代に何か困ったことがあると、「さあ、予見者のところへ行こう」という合言葉のようになっていたようです。サウルの心配事は行方不明の雌ろばのことです。サウルたちは、もし先見者に会えば雌ろばがいる方向を示してくれるだろうと思ったのです。聖書を読む者は、サウルの家からろばがいなくなったことも、神のご計画の内だったと理解できますが、サウルとしては自分がサムエルに待たれていて、これから壮大な神のご計画を聞かされるとは夢にも思っていませんでした(10;1-8)。しかも、油そそがれ(10:1)神の霊まで下ってくるのです(10:10)。サウルにとって「さあ、予見者のところへ行こう」は、単なる相づちで終わらなかったのです。