詩篇109篇 その子らはみなしごとなり

詩109:9「その子らはみなしごとなり、彼の妻はやもめとなりますように」

いくらダビデが悪者に痛めつけられたからといって、その子や妻にまで主のわざわいを願うのはいかがなものでしょうか。しかも「彼の子らは、さまよい歩いて、物ごいをしますように(10)」とまで言っています。当時の風習としては子が成長して復讐しないように、王をつかまえたなら子を殺すことはよくあったようです(2王25:7)。ダビデはさすがに子が死ぬことまでは望みませんでしたが、裕福で幸せな人生を歩まないように主に願っています。ダビデの寛容なところは子や妻のいのちまでは取ろうとはしなかったことです。それでも、悪人に対する憎悪と嫌悪は消えることがなく、主に正しい裁きが行なわれるように祈っています(4)。自分のことしか考えない者は、どうしても人に対する配慮に欠け、他人が痛めつけられ苦しもうが悪者の心は痛みません。そういう人に人生の中で1人や2人出会うことがあるでしょう。ダビデもまたそういう者に出会って、心を痛め主の前に訴え出ています。呪うことを愛する者は、それが自分に返ってきて、祝福を喜ばない者は祝福を遠ざけているのです(17)。ダビデが自分でさばかないという姿勢は一貫しています。すべてを主の前に出して、判断はゆだねています。このような態度のゆえに主はダビデを喜ばれ、ダビデを高く評価し、王の座を守ろうとしたのです。