心と耳の割礼

使7;51「かたくなで、心と耳とに割礼を受けていない人たち。あなたがたは、父祖たちと同様に、いつも聖霊に逆らっているのです」
パウロ聖霊による心の割礼こそ割礼だと断言しています(ロマ2:29)。また、旧約の時代にも「あなた方は心の包皮を切り捨てなさい(申10:16)」と命令され、割礼はそのままの状態でなく、一皮むけた新しい状態を指す比喩だということがわかります。聖書には包皮がかぶっている部分を4箇所指摘しており、それぞれに割礼を施すように言われています。それは男性器以外に、口(出6:30)と耳(エレ6:10)と心(エレ9:26)です。耳の割礼とは、エレミヤの「彼らの耳は閉じたままで(エレ6:10)」のことで、新改訳では下の注解に直訳「耳に割礼がなく」と書かれています。原文でも「arel(アレイル)」となり無割礼を示す言葉が使われています。聞く耳を持たない、という言葉がありますが、自分が覚えたり学んだりしたことだけを受け入れ、それ以外の言葉は受け入れない状態のことです。耳に割礼とは、まさしく話を受け入れる耳を持つことだと思います。もちろんすべての悪い言葉に対して耳を向ける必要はありませんが、神の言葉は別です。真理の言葉が語られたとき、耳に包皮がかぶされて、聞くことができないのは不幸です。それは心と連動しているもので、心の割礼ができているなら、聞く耳を持つことができるはずです。ステパノはそのことに言及したのです。