詩篇135篇 偶像は銀や金で人の手のわざです

詩135:15「異邦の民の偶像は、銀や金で、人の手のわざです」
イスラエルの民もたびたび偶像を拝んでいますが、十戒の2番目の戒め「偶像を作ってはならない(出20:4)」は、荒野にいる頃から示された重要なものです。人は目に見えるものに頼りたがりますが、荒野では雲の柱や火の柱を目撃することができ(出13:21)、わかりやすかったと思います。それでも偶像を拝まない生活を続けるうちに、偶像が意味のないものに気づくようになります。銀はヘブル語で「keceph(ケセフ)」で、金は「zahab(ザハブ)」が使われています。古代から金は貴重で高価ものでした。自分の拝む対象を高価なもので作ることによって、偶像の価値を上げようとしているのです。しかし、いかに偶像の価値が高く一般の人には買えないものであっても、偶像は人に語りかけません。また人の言葉に耳を傾けることも、適切なアドバイスも作られた口から発することはありません(16-17)。ステパノは偶像に対して「何かに不自由なことでもあるかのように、人の手によって仕えられる必要はありません(使17:25)」と強烈に皮肉っています。歌い手は偶像に信頼するものは、偶像と同じだと言います(18)。目があっても見えず、耳があっても聞こえない、というのはイザヤとエレミヤによって指摘されたイスラエルの民のことです(イザ43:8、エレ5:21)。