ヨアブは知っていた

1歴21:3「主が、御民を今より百倍も増してくださいますように。王さま。彼らはみな、わが君のもの、そのしもべではないのでしょうか。なぜ、わが君はこんなことを要求なさるのですか。なぜ、イスラエルに対し罪過ある者となられるのですか」
ヨアブの方がダビデよりよっぽど御心を理解しているようです。主の恵みは限定的なものではありません。数を数えることは主の無限の力を「限定」する行為でもありました。それは、ダビデも理解していたはずです。しかし、21章の最初には「サタン」という言葉が使われ、ダビデが誘惑されこの罪に陥ったことがわかります(1)。この「サタン」は、現在編纂されている聖書では最初に出てくる「サタン」です。次にこの言葉が使われるのはヨブ記で、旧約では歴代誌、ヨブ記、ゼカリヤだけにこの「サタン」が登場します。「サタン」は唐突に聖書に現れ、主とダビデの関係にひびを入れたのです。サタンのヘブライ語のもともとの意味は「敵」という意味で、主に敵対する存在としてその名前が書かれたのだと思います。しかし、ヨブ記を参考に考えるなら、サタンの誘惑も主の許しの下で行われたことがわかります。その結果、イスラエルに災いがおき(14)、数えた民の数もバラバラになってしまいます。もっとも、この数もヨアブが嫌々ながら数えたもので、適当な数字だったのですが(6)。ダビデはこの教訓で、自分の高慢さに気づきました。王であってもへりくだる心を持つ人を主は用いるのです。