2サムエル22章 天を押し曲げて

2サム22:10「主は、天を押し曲げて降りて来られた。暗やみをその足の下にして」
ダビデが主に助けを求めたなら、主は天を押し曲げても降りてこられる、とあります。詩篇にも収められているダビデの賛歌ですが(詩18)、この7ー15節までの表現はヨブ記にある主の描写とまた違った要素があります(ヨブ37章)。「押し曲げる」に使われているヘブル語は「natah(ナター)」で、「伸ばす」「引っ張る」などの意味があります。この表現は主がダビデの助けを聞かれ(7)、その訴えに怒られて天から降りてくる様子を表しています。まず、天と地が揺るがされ(8)、主の鼻から煙が立ち、口から火を出し、炭火が燃え上がるのです(9)。これだけでも恐ろしいですが、天を押し曲げやって来られ、ケルブに乗って地に降りてこられるのです(11)。ヨブ記では雪に降れと命じられ、夕立に大雨になれと命じられています(ヨブ37:6)。ダビデにしろ、ヨブ記(友人エリフ)にしろ、これらの実際の様子を見たわけではないように思えます。彼らは古くから言い伝えられている神の描写を語っただけで、もともとはどこから来たのかはわかりません。ただ、聖書が神の霊感によるものだとするなら(2テモ3:16)、彼らが神のことを語ったときには、主の知識が聖霊を通して彼らに与えられ、我々には到底知りえない神の御姿を垣間見せてくれているのではないでしょうか。