数を数えたヨアブ

1歴27:24「ツェルヤの子ヨアブが数え始めたが、終わらなかった。このため、御怒りがイスラエルの上に下って、その数はダビデ王の年代記の統計には載らなかった」
21章でダビデがサタンの誘惑によって犯した罪を、ここでもヨアブが繰り返しています。数を数えることはそんなに悪いことなのでしょうか?もし、主が数え切れないほど子孫を与えると約束されたなら、数を数えることは失礼な行為です。それは約束された相手を信用していない証拠です。テレビのドラマなどで、取引現場で金を見せるシーンがありますが、いちいち数えるこということはしません。ある程度信用がなければ取り引きなど無効になってしまうからです。ヨアブはどのくらい人が集まっているのだろうと数を数えましたが、ダビデは20歳以下の男はあえて数えませんでした。主に信頼していたからです。しかも、一度苦い経験をしています。しかし、ヨアブは今までダビデに仕えてきて、軍隊を取り仕切る決め事には黙ってはいられなかったのでしょう。今までの戦果、軍隊の配備、戦力の整備など、すべてダビデとともに歩んできたものばかりです。ヨアブの心の中には「自分のもの」という思いが支配していたのだと思います。数を数えることは、自分の力を誇ることと同じ意味になります。すべては主の導きがあってなされた業だと、頭ではわかっていても、サタンはうまく罪を犯すように誘惑するのです。ヨアブは「すべてわたしのおかげ」と心にサタンの声がした時に罪をおかしてしまうのです。