オリジナルとは違うけれども

エズラ3:12「しかし、祭司、レビ人、一族のかしらたちのうち、最初の宮を見たことのある多くの老人たちは、彼らの目の前でこの宮の基が据えられたとき、大声をあげて泣いた。一方、ほかの多くの人々は喜びにあふれて声を張り上げた」
礎は土台になる石のことで、柱の基に据え建築物の耐久年数を大幅に延ばすことができます。日本では中心となる柱の基にあるひとつの石を礎と呼ぶようですが、おそらくエズラの時代には柱ごとに礎が据えられ、その礎の数や幅を追っていくことで神殿全体の規模がどのくらいかを知ることができたのだと思います。捕囚後70年経っても生きていた老人たちは少なくとも80才以上の高齢者たちばかりです。彼らが幼いころに見たソロモン神殿は、ダビデが献身的な努力をして準備した最高の神殿でした。ところが、捕囚後帰ってきて見た礎から想像する神殿は、自分たちが思い描いていた神殿とは比べ物にならないほどみすぼらしかったのです。それとは対照的にオリジナルの神殿を知らない世代は、礎が据えられただけで歓喜の声をあげました。そもそもゼルバベルは捕囚後に生まれたダビデ直系の3世代目で(マタ1:12)、当然ソロモン神殿がどんな建物だったかを知りません。彼らに与えられた金銀は相当数ありましたが(2:69)、ダビデの用意した杉材や石材などを手に入れることは難しかったと思われます。彼らはソロモンが7年かかって完成させた神殿を、4年で完成させました。ゼルバベルたちのできる限りの努力が実ったのです。