小さい者

マタ10:42「わたしの弟子だというので、この小さい者たちのひとりに、水一杯でも飲ませるなら、まことに、あなたがたに告げます。その人は決して報いに漏れることはありません」
キリストの弟子が必ず優秀で、才能があるわけではありません。もちろん、そういう人たちはタレントを活かして、10倍、100倍の実を得ることができるでしょう。しかし、教会員すべてがタレントにあふれているわけではありません。ある人は、貧しく、教育も受けていなく、ひょっとしたら病に悩んでいるかもしれません。学歴が優れているから、クリスチャンとしてふさわしいとか、才能があるから用いられるべきとか、金持ちだから友達になろうとしないことです。そんなことは異邦人に任せれば良いことです。「自分の兄弟たちだけに挨拶したところで、どれだけまさったことをしたことになるのでしょう(5:47)」とあるように、目に見える範囲ですべてを判断しようとしたら、神の国は相続できません。目に見えないものの中に大切なものが隠れているからです。クリスチャンで最も小さい者たちを無視してはなりません。彼らもイエス・キリストに出会い、十字架の救いを受けた大切な神の民なのですから。小さい者はギリシャ語で「mekros(メクラス)」で、文字通り大きさのことを言い表わしています。大きければ大切にし、小さければないがしろにする教会には、主の御業は働きにくくなってしまうでしょう。