スプラグニズマイ

マタ9:36「また、群衆を見て、羊飼いのない羊のように弱り果てて倒れている彼らをかわいそうに思われた」
日本語だと「かわいそう」は特別な意味はなさそうですが、ギリシャ語では「splagchnizomai(スプラグニズマイ)」という単語が使われ、もともとの意味は「はらわたが動かされる」という意味です。聖書の中にはマタイとルカだけに使われ、全部で24回登場します。つまり群集を見たときのイエス様の心の中は、内臓が揺さぶられるほど動かされた…という意味になります。なぜ、そのように感じられたのでしょうか?羊飼いがいなければ、羊は食べる草のある場所に連れて行ってくれません。もし、羊が勝手にうろうろするなら、岩場や崖などの危険な場所を避けれないし、森などに迷い込んだら狼などの敵に狙われるかもしれません。人の歩む道も同じように、はっきりと導かれ、生きる目的と希望を持っていなければ弱り果ててしまうでしょう。人の生きる目的とは、神とともに歩むことであり、希望とは神が生きておられるという希望です。イエス様は「収穫のために働き手を送ってくださるように祈りなさい(37)」と言われましたが、働き手とは羊を導く羊飼いのことです。どの国でもリバイバルが起きたとき、急務なのはリーダーたちを育て、それぞれの集団を治めさせることです。日本も今から群集を導く人たちを育てておかないとリバイバルに間に合わなくなるかもしれません。