食いしん坊

マタ11:19「人の子が来て食べたり飲んだりしていると、『あれ見よ。食いしんぼうの大酒飲み、取税人や罪人の仲間だ』と言います。でも、知恵の正しいことは、その行ないが証明します」
エス様がガツガツ物を食べ、酒を浴びるように飲んでいたわけでもないでしょう。バプテスマのヨハネが断食すれば「悪霊につかれている(18)」と言われ、イエス様が食事をするなら「食いしんぼうの大酒飲み」と揶揄されるのです。日本には「坊主憎けりゃ、袈裟まで憎い」ということわざがありますが、まさに何をやっても非難のまとです。イエス様が食べたり飲んだりしただけでも非難の対象になっています。パリサイ人たちは、イエス様のいやしや教えに対して追求することができないために、普段の何気ない行為に対して非難を浴びせたのです。このように、正しい行ないのまわりには必ず嫉妬ややっかみという感情が渦巻いています。人がまじめであればあるほど、心に余裕がなく遊び心に欠ける…と評価され、付き合う人は減っていくでしょう。特にパリサイ人は、今まで自分たちが権威あるもので、教える立場であり恐れられていたのに、イエス様が来てからは人々の目は自分たちに向けられなくなりました。彼らの思いには、自分たちのポジションが奪われ、自らの存在意義さえ危なくなるというものがあったのだと思います。本当にへりくだることができるには、自分が死ななければ無理なのです。