心に純粋さがあるなら

2コリ9:7「ひとりひとり、いやいやながらでなく、強いられてでもなく、心で決めたとおりにしなさい。神は喜んで与える人を愛してくださいます」
景気が悪いと、教会の献金も減ります。これは仕方ないことで、どこの国でも、どこの教会でも起きていることです。それでも十分の一が神のものであることは明白です(マラキ3:8)。心の中に「いやだなぁ」と思うときは、神のことを思わず、自分のことを思っているのです。人生の中でイエス様のことを思うときがどのぐらいあるでしょう?それでも、パウロは心に決めたとおりにしなさい、と言います。心に決めたとおりなら「1000円じゃなくて、700円にしよう」などと考える人もいるかも知れません。それでもかまなわい…主は嫌がって1000円与える人より、喜んで700円与える人のほうが好きなのです。捧げものに混ざりものがあってはなりません。初子と書かれているのに、2才のものを捧げたり、雄だと書かれているのに、雌をささげてもいけません。傷のない、と書かれているのに、傷のあるものを捧げてはいけません。これらのことをするなら、混ざりものを捧げたことになります。こころに純粋さがないこと…これが混ざりものなのです。