2コリント8章 多く集めた者も余るところがなく

2コリ8:15「「多く集めた者も余るところがなく、少し集めた者も足りないところがなかった」と書いてあるとおりです」
イスラエル人が出エジプトをして荒野にいるとき、天からマナが降ってきました。主からの命令で一人当たり1オメルずつ集めよ、と言われていました(出16:16)。イスラエル人が多い家族には多く、少ない家族には少なく集めたとき、それは過不足なくすべての人が食べる分だけの量になっていました(出16:17-18)。パウロ出エジプトのこの箇所を引用して、献金の教えをしようとしています。マケドニアの諸教会(1)というのは、テサロニケ、ピリピなどの教会のことです。それらの教会では極度の貧しさにもかかわらず、多くの献金が集まったことが書かれています(2)。しかし、教会の指導者たちはどれだけ集めようと考えていたわけではありません。教会に集う一人一人が自ら進んで捧げた結果、あふれる恵みとなったのです。コリントの教会には、信仰、知識、熱心、愛については十分に成長したことがわかっています(7)。パウロは次のステップとして「この恵みのわざにも富むようになってください(7)」と勧めています。多く持つ者は多く、少ない人はそれなりに、嫌嫌ながらでなく心から進んで捧げるなら、あとは神が過不足ないようにしてくださいます。パウロは共産的な発想でなく、富む者も貧しい者にも心から捧げる信仰があるなら、神が分け隔てなく平等にしてくださると言っているのです(14)。