詩篇51篇 それをさげすまれません

詩51:17「神へのいけにえは、砕かれた霊。砕かれた、悔いた心。神よ。あなたは、それをさげすまれません」

ダビデはいけにえの本質を知っていたようです。それは人がどんなに捧げものをしたとしても、心が悔い改めていなければ同じことを繰り返すでしょう。失敗したら反省し、もう二度と同じことを繰り返さないように心に誓うのが、失敗に対する後悔の念だと思います。キリストの教会では、メンバーになるのに何の代価も必要ではありません。「人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです(ロマ10:10)」とあるように、心の問題です。しかも、他人には人の心は見えませんから、キリストを信じるのはまさに自分自身で決めることなのです。「わたしはキリストを信じました」と告白するなら、それがたとえ嘘であっても、兄弟たちは祝福し受け入れてくれるでしょう。しかし、神はすべてを知っておられます。もし、本当に罪を悔いて、キリストとともに新しい人生を歩みたいと願うなら、神はその決心をさげすまれません(17)。ダビデによるならば、「砕かれた霊」と「砕かれた、悔いた心」は神へのいけにえだと書かれています。罪を悔いて、心が砕かれたなら、ダビデのように賛美をささげれば良いと思います。賛美もまた「いけにえ」だからです(ヘブ13:15)。ダビデはナタンが来たときに、この詩を歌い、心から悔い改めて賛美をささげています。