右の手の人

詩80:17「あなたの右の手の人の上に、御手が、ご自分のため強くされた人の子の上に、御手がありますように」
主の右にはたった一人の人しかいません(マコ16:19)。ここに書かれた「人の子」は「'ben adam(ベン・アダム)」で、「手」のヘブライ語「yad(ヤッド)」は、この「'ben adam(ベン・アダム)」と右の意味のヘブライ語「yamiyn(ヤミーン)」にかかっており、手と人の両方に手が置かれるような意味合いになっています。「人の子」が文字通り人間を指すのか、右の手の人のことを指すのかは意見が分かれるところですが、この節全体がイエス様のことを指し、次の節の「私たちはあなたを裏切りません(18)」につながるとするなら、救いをもたらす右の手の人を助け、強くされたと訳したほうがよさそうです。御手がその人上にあり、必ずアサフが「右の手の人」の救いを受けるのなら、そのために主を賛美し続けても無駄にはなりません(18)。この詩でアサフは救いについて歌っています。アサフが救われることと、神が栄光で輝くことは同義です(3,7,19)。また、この歌に出てくるもう1人の人「主の右の手におられる人」が神よって力づけられ、救いをもたらすなら、やはり神の栄光が輝きアサフは主を呼び求めることができ続けられるのです。