詩篇76篇 憤りの余りまでをも

詩76:10「まことに、人の憤りまでもが、あなたをほめたたえ、あなたは、憤りの余りまでをも身に締められます」
「憤り」のヘブル語「chemah(ヘイマ)」は、激しい怒りの感情を意味し、それが神をほめたたえるのは矛盾しているように思えます。何か御心とは逆の反応をしたり、起こったりしても、それが主をたたえるものだとも読めます。しかもここでは「憤りの余り」という変な言葉が使われ、ちょっと理解に苦しみます。「余り」は「sheeriyeth(シェエリス)」で「残り物」を指します。憤ってしまうなら、心に平安を失い、あまり良い結果を招かないものですが、アサフは「すべては益(ロマ8:28)」に通じる感覚を訴えているのだと思います。神が怒るなら誰もそれに立ち向かう ことはできません(7)。しかし、失敗に思える人の感情でさえ、神はご自身の栄光に変え、ご自分の民を守られるのです。パウロも「事は人間の願いや努力によるのではなく、あわれんでくださる神によるのです(ロマ9:16)」と言い、どんなに人が制御しようとしても、まず神のご意思があり、あわれみによってのみ事と訴えています。