わたしに優しく

詩109:21「しかし、私の主、神よ。どうかあなたは、御名のために私に優しくしてください。あなたの恵みは、まことに深いのですから、私を救い出してください」
20節まではダビデの敵に対しての報い、つまり彼らの身に降りかかる災いとか刑罰を神に願っています。21節になると一転して「わたしに優しくしてください」と願うのです。なんだか身勝手な様子のようにも思えますが、このときダビデは断食をしていたようで「私の肉は脂肪がなく、やせ衰えています(24)」とあるように、1夜限りの短期な断食ではなく、脂肪が落ちてやせ衰えるほどに断食し主に訴えています。そして最後は賛美で終わり、結びのことば「主は貧しい者の右に立ち、死刑を宣告する者たちから、彼を救われるからです(31)」はあたかもイエス様のことを彷彿させるような表現です。本来、死を宣告するのは父なる神の役目で、人は神の前で申し開きをしなければなりません(ヘブ9:27)。そして、そのときに側に立って弁護してくださるのはイエス様です(1ヨハ2:1)。敵は必ずしも武力だけではありません。ダビデの訴える敵は「悪者」で、不条理にダビデを苦しめる者たちです。それは現代にも通じる概念だと思います。