詩篇110篇 わたしの右の座に着いていよ

詩110:1「主は、私の主に仰せられる。「わたしがあなたの敵をあなたの足台とするまでは、わたしの右の座に着いていよ」」
これはパリサイ人がイエス様をダビデの子だと言ったときに、反論に使われた詩篇の一句です(マタ22:44)。この中でダビデが「主」、つまり神の右の座に着く方キリストを主と呼んでいることを指摘して、ダビデの子がキリストならば、ダビデが呼んでいる「主」とはいったい誰かと問うているのです。しかし、パリサイ人の主張した内容については部分的には正解で、預言書に書かれている「エッサイの根(イザ11:10)」は、明らかにダビデの子孫に救世主が生まれるというものでした。そして、イエス様はルカの系図をたどるなら確かにダビデの子孫としてお生まれになっています(ルカ3:31)。預言はエッサイの根として成就していますが、だからといってダビデが神の子キリストの祖先となったわけではありません。十字架の完成でイエス様は天に昇られ、天では父なる神の右の座に着かれています(マコ16:19)。多くのユダヤ人は救世主はダビデの家系に現れ、ダビデの時代のような堅固な王国をもう一度立て直すのだと考えていました。しかし、イエス様はユダヤ人だけでなくすべての罪ある者のために十字架にかかり、罪が赦され神とともに歩む人生をすべての人に与えるために地上に来られたのです。神の治める時代はもうすぐ来ます。それまでダビデの主は神の右の座におられるのです。