ことばを気にして

1サム21:13「それでダビデは彼らの前で気が違ったかのようにふるまい、捕らえられて狂ったふりをし、門のとびらに傷をつけたり、ひげによだれを流したりした」
アキシュの家来が言った「サウルは千を打ち、ダビデは万を打った(11)」という言葉にダビデは「恐れた(12)」とあります。奇しくもサウルも同じ言葉を耳にして、ダビデを疑いの目で見るようになったのです(18:8-9)。人が言ううわさは、時として人の心を不安に落としいれ、とんでもない行動に走らせます。サウルはダビデに槍を投げつけ(19:10)、そればかりか自分の息子ヨナタンにも槍を投げつけています(20:33)。今度はダビデです。狂ったふりをして門の扉に傷つけ、ひげによだれを流したのです。人が自分をどのように見ているかをいつも気にする人がいます。それは本人の前ではつくろって本心を言わないだろうと、勝手に思い込む人の心理に基づいています。にもかかわらず他人が話す「彼はあなたのことを〇〇と言っていましたよ」という、くだらないうわさ話は信じるのです。ダビデの人の子…失敗もするでしょう。何の汚点もない人がいるとしたら、イエス様だけでしょう。それでもダビデが主から離れないでいた姿勢は学ぶべきだと思います。