金666タラント

2歴9:13「一年間にソロモンのところに入って来た金の重さは、金の目方で六百六十六タラントであった」
666はめったに聖書に登場しない数字で、有名なものは黙示録にあり、サタンの数字とされています(黙13:18)。それがソロモンの金の重さの表示に突然登場します。しかも、シェバの女王が帰った後の記述だけに(12)、シェバの女王との関連を疑ってしまいます。とにかく、シェバの女王が来たときがソロモン王の最も繁栄したときで、666タラントの金も大盾(15)、象牙の王座にかぶせたり(17)、王座の足台(18)、また水を飲む器はすべて純金製だったりと(20)、惜しげもなく使われています。ただし金が主のために使われた記述はありません。そもそも戦いのときに金の盾が必要でしょうか?象牙という高価な材質を隠す必要があるのでしょうか?水を飲むのに金の器で飲まなければならないのでしょうか?どうも人間くさ い、神の栄光とは離れた様子が金の使い方を通して見えてきます。6は神の数字7より1つ少なく、人を表していると言われています。多くの金が手元にあったとき、無駄に贅沢に使い人の心は麻痺していくのだと思います。ソロモンの栄光もここを境に下っていき、多くの妻や金をもつ人間が「知恵」さえも曇らせていってしまうことがわかります。