パラカレイオ

ルカ15:31「父は彼に言った。『子よ。おまえはいつも私といっしょにいる。私のものは、全部おまえのものだ』」
弟は財産を使い尽くしたかもしれませんが、兄も同様に身代を分けてもらっていたので財産を持っていたはずです(12)。しかも「私のものは全部おまえのものだ」とまで言われているのです。しかし、兄の関心はお金ではなく父の弟に対する扱いでした。そこで父は家にも入ろうとしない兄をなだめた、とあります(28)。「なだめた」は英語NIVやNASBなどでは「plead」が使われており、「弁護する」とか「嘆願する」の意味があります。原語ギリシャ語では「parakaleo(パラカレイオ)」となっており、「そばに呼び寄せる」とか「なだめる」などの意味を持つ動詞です。この名詞が「parakaretos(パラクレイトス)」で「助け主」と訳され、新共同訳では「弁護者」となっています。いかに父が兄に対して心を気遣って、兄の心 を静めようとしたかがわかります。いつも一緒にいる兄は、弟を失っていたという感覚はなかったのだと思います。ところが父としては自分から離れていった弟は「死んでいた(32)」と言い、父のもとにに来てはじめて生き返ったと断言するのです。これは福音の内容と同じではないでしょうか?