男(キリスト)と女(教会)

1テモ2:12「私は、女が教えたり男を支配したりすることを許しません。ただ、静かにしていなさい」
たしかにエバは惑わされました(14)。サムソンはデリラに惑わされ(士16章)、ダビデはバテシェバの裸に魅了されました(2サム11:2-4)。アタルヤは女性でありながら王になり、その最後は誰からも哀れまれることのないものでした(2王11:20)。女性に惑わされる者もいれば、女性が上に立ち混乱を招くこともあります。しかし、それは男性が上に立っても同じことです。女を教会に置き換えるなら、教会が男(キリスト)を差し置いて勝手な教えを広めることは許されません。男と女の関係ははっきりとしているのです。互いに愛し合う関係の中で、男女は平等ですが、男は労苦して食を得(創3:17)、女は産みの苦しみを与えられています(創3:16)。また、女が夫を慕い求めても、彼は女を支配するようになる(創3:16)、 とも書かれています。体の仕組みも違い、決して同じではありません。この御ことばの解釈が難しいことは誰もが認めるところです。ただ、難しいからといって脇に置いておくこともできないでしょう。男が女を守り、女が男に仕える姿は、イエス様と教会との関係のひな形であり、その関係は21世紀であろうと崩れることはないのです。