義人は信仰によって

ハバクク2:3「この幻は、定めの時について証言しており、終わりについて告げ、まやかしを言ってはいない。もしおそくなっても、それを待て。それは必ず来る。遅れることはない」
この次の節の「義人は信仰によって生きる(4)」はパウロがよく引用していることばで、新約でも3回出てきます(ロマ1:17,ガラ3:1,ヘブ10:38)。特にヘブル書では「もうしばらくすれば、来るべき方が来られる。おそくなることはない(ヘブ3:37) 」と書かれ、このハバククのことば通りです。ここでは「終わりについて」告げられていると書かれ、イエス様が最後に来ることを暗示しています。旧約の時代から信仰によって生きることが説かれており、パウロもこのことばに共鳴して教会への手紙の中でも強く主張しています。イエス様は終わりの時代に「最後まで耐え忍ぶものは救われます」と語り(マタ10:22)、最後のときは信仰が試されることがわかります。人はすぐに目に見える形に変え、神を自分に近しいものとしたがりますが、偶像ほど神を悩ませるものはありません。彼らはすぐに「木に向かって目をさませと言い、黙っている石に向かって起きろと言う(19)」のです。目に見えなくても信じれる信仰こそ神への忠誠だと思います。