さらわれて来たのです

創40:15「実は私は、ヘブル人の国から、さらわれて来たのです。ここでも私は投獄されるようなことは何もしていないのです」
ヨセフが自分の境遇をどのように説明するかは興味深いことですが、彼は「さらわれて来た」と説明しています。ここで使われているヘブル語「ganab(ガナーブ)」は「盗まれる」とか「遠くに運ぶ」という意味があります。英語NASBでは「kidnap」すなわち「誘拐」だと訳されています。どの訳にしても、自分の兄弟によって売られたとは言いませんでした。また兄弟たちに対する恨みの言葉もありません。ヨセフがヤコブと兄弟たちに会うその時まで(45:3)、ヨセフの口から兄弟たちへの批判、恨みの言葉を一つも発しませんでした。むしろ神がすべてをコントロールしていることを悟り、エジプトに来たこともすべて神の計画だと理解するのです。そのためヤコブと兄弟たちに会ったときにすべてを許し、神がなさっ たことへの感謝を深く感じることができました(45:4-13)。人が忍耐するとき、ただ耐えるのではなく、そこに神の意志が働いているということを知るならば「希望」が生まれるでしょう。ヨセフは神のゆえに忍耐を学び兄弟たちを許す寛容をも身に着けることができました。ヨセフを導いた神こそ偉大なお方です。