私には見えない

ヨブ9:11「たとい神が私のそばを通り過ぎても、私には見えない。神が進んで行っても、私は認めることができない」
神は「われわれのかたちとして、われわれに似せて(創1:26)」人を造られました。しかし、神は霊であり(ヨハ4:24)目に見えるものではありません。アダムとエバが神と出会うときには「そよ風が吹くころ(創3:8)」という表現が使われており、神の霊があたかも漂う風のように書かれています。また、イエス様自身も弟子たちに息を吹きかけ「聖霊を受けなさい(ヨハ20:22)」と言われ、神の霊が息吹とか風のようなイメージを連想させます。さらにエリヤが主の前に立ったとき、大風、地震、火が次々と起こされましたが、どの中にも主はおられず「かすかな細い声(1王19:12)」をエリヤは聞きます。主に出会った人はほんの数名しか聖書に書かれていませんが、その中でもモーセは唯一主のう しろ姿を目撃しています(出33:23)。それはわざわざ主が「人はわたしを見て、なお生きていることはできないからである(出33:20)」と忠告を与えてくだった配慮の上にモーセが体験したことです。ヨブは主がそばにいても見えない…と主のイメージを理解したうえで発言していると思います。