神を見ること

1ヨハ4:12「いまだかつて、だれも神を見た者はありません。もし私たちが互いに愛し合うなら、神は私たちのうちにおられ、神の愛が私たちのうちに全うされるのです」
ヨハネは神を見た者はいない、と福音書でも書いています(ヨハ1:18)が、神を見た記述はヤコブ(創32章)、モーセ(出33章)、サムソンの父マノア(士13章)が挙げられます。イエス様は神は霊(ヨハ4:24)だと言われ、霊である神と格闘はできません。ヤコブは誰と格闘したのでしょうか?また、「主は、人が自分の友と語るように、顔と顔とを合わせてモーセに語られた(出33:11)」とありますが、そのすぐあとにモーセは「あなたの栄光を見せてください(出33:18)」と主に訴え、主は「あなたはわたしの顔を見ることはできない(出33:20)」と言われています。それに対しマノアの場合は「主の使い」という単語が文中にあります(士13:18)。どういう形であれ、旧約の3人は神と出会いましたが死にませんでした。新約の時代になり、見る見ないではなく信仰によって生きることがパウロによって明かされました(ロマ1:17)。それでも神を見たいと思うのは人の常です。イエス様は「心のきよい者は幸いです。その人たちは神を見るから(マタ5:8)」と言われ、神を見れる可能性があることを残しています。