詩篇43篇 私はなおも神をほめたたえる

詩43:5「わがたましいよ。なぜ、おまえはうなだれているのか。なぜ、私の前で思い乱れているのか。神を待ち望め。私はなおも神をほめたたえる。私の顔の救い、私の神を」

この節は詩篇42篇11節のものと同じ内容です。多くの聖書学者は詩篇42篇から詩篇の「第2巻」だと考えています。それは、詩篇の最初の部分はほとんどがダビデによるもので、42篇からはコラの子たちの詩が続くことと、もう1つは巻末にかならず「アーメン アーメン(41:3、72:19、89:52)」と繰り返されていることが意図的に編纂されたものと考えられているからです。第2巻の最初の42篇と43篇は、1つの詩だとされており、43篇にはタイトルがありませんが、コラの子たちの詩だと思われます。その根拠になるのがそれぞれの終わりの部分42篇の11節と43篇5節が同じ繰り返しになっているものです。42篇は有名な「鹿が谷川の流れを慕いあえぐように、神よ。私のたましいはあなたを慕いあえぎます(42:1)」という歌いだしになっています。コラの子たちもダビデと同様に神にさばきを委ねています(1)。世の中には「神を恐れない民(1)」が割拠しており、欺きと不正がまかり通る場合があります。それでも神を信じる者は神の正しいさばきを信じて自分では人をさばかないように努めるのです。心の中では間違っていることを知っていても、さばきを神に委ねるのは難しいものです。それでも神がいてくださることを信じるならさばきを委ねなければなりません。