上に立ちたい

マコ10:40「しかし、わたしの右と左にすわることは、わたしが許すことではありません。それに備えられた人々があるのです」
人が10人集まればランク付けが始まります。誰もが平等…とは理想としては立派な考え方ですが、人はどうしても上下関係を気にする生き物のようです。それは神から与えられた性質なのかもしれませんし、それがなければ権威というものを恐れる心は生まれてこないでしょう。誰もが奴隷になることを望んでいません。できれば自分の思いで、好き勝手に生きたいのです。ヤコブヨハネもイエス様のそばである程度は理解していたようですが、ほかの10人を差し置いて自分たちが優位に立ちたいと願ったことは明らかです。その思いは明けの明星とよばれたサタンにも見られます。「密雲の頂に上り、いと高き方のようになろう(イザ14:14)」…これと同じ誘惑をヤコブヨハネは受けたようです。結果、ほかの兄弟たちは腹を立て(41)、弟子たちが分裂してもおかしくない状況です。「キリストは神の御姿である方なのに、神のあり方を捨てられないとは考えずご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられました(ピリ2:6-7)」イエス様に学ぶべきことはこれが最初でしょう。