マタイ20章 三日目によみがえります

マタ20:19「そして、あざけり、むち打ち、十字架につけるため、異邦人に引き渡します。しかし、人の子は三日目によみがえります」
エス様が十字架にかかり、三日目によみがえることを語ったのはこれで3回目です。最初はペテロがこの話を信用せず、イエス様がペテロに向かって「下がれ、サタン」と言われたときです(16:21-23)。次にこの話をされたのは、山頂で御姿に変わり、降りてきたとき弟子たちが悪霊を追い出せなかったときです(17:18-23)。3度も大切な話をしているのに、ゼベダイの子ら、すなわちヨハネヤコブと彼らの母親はどのようにこの話を理解していたのでしょうか?彼らのお気楽な態度は、イエス様の「わたしが飲もうとしている杯を飲むことができますか(22)」という質問の意味を理解していないことでもわかります。その「杯」は、唯一イエス様が父なる神に「できますならば、この杯をわたしから過ぎ去らせてください(26:39)」と言わしめた最も辛い杯です。杯は人が犯した罪、これから犯すであろう罪のことであり、汚れのないイエス様がその杯を飲んで、人の罪を背負うためのものでした。いとも簡単にこの杯を飲めるといったヨハネヤコブは、復活後のイエス様と出会いどのように思ったのでしょうか。後から思えば恥じ入ることでも、そのときにはわからないものなのです。