バビロンの王メロダク・バルアダン

イザ39:1「そのころ、バルアダンの子、バビロンの王メロダク・バルアダンは、使者を遣わし、手紙と贈り物をヒゼキヤに届けた。彼が病気だったが、元気になった、ということを聞いたからである」
歴史の本ではヒゼキヤの時代にはバビロンはアッシリアの属州であり、メロダク・バルアダンはサルゴン王のときにバビロン王の地位を認めさせたとあります(BC721年)。サルゴン王の死後、再びセナケリブが王となり(BC703年)、その後ニネベの戦い(BC612年)でアッシリアを滅ぼすまで約90年バビロンはアッシリアに屈していました。そんな歴史の隙間に起きたちょっとした出来事がここに書かれ、イザヤの預言では今は属州のバビロンがやがて宝物蔵の宝を全部持ち出すとされています(6)。ヒゼキヤもアッシリアの王ではなく、敵対しながらも属州に甘んじているバビロンの王の使いが見舞いに来たことがうれしかったのだと思います(2)。メロダク・バルアダンは宝物蔵を見に来たのではなく、おそらくヒゼキヤがセナ ケリブの兵士18万5千人を一夜にして殺した噂を聞きつけ(37:36)、もしかしたらヒゼキヤと組んでアッシリアを滅ぼすことができるのではないかと目論んだのだと思います。お互いの利害は一致していましたが、ヒゼキヤはうれしさのあまり間違った行動を取ってしまうのです。