神に伺って言った

士20:18「イスラエル人は立ち上がって、ベテルに上り、神に伺って言った。「私たちのため、だれが最初に上って行って、ベニヤミン族と戦うのでしょうか。」すると、主は仰せられた。「ユダが最初だ」」
ベテルには神殿があり、契約の箱もそこにあったようです(27)。イスラエル中が各自めいめいに自分勝手なことをしていたのに、ギブアの事件はベニヤミン以外が1つになるきっかけとなりました。彼らの取った行動は、やがて王になるダビデのものと似ています(1サム23:2など)。それは主に伺うということでした。ベニヤミンはギブア事件で滅びかけましたが、主のあわれみによって再建することができました(21:23)。しかし、預言者ホセアによれば「ギブアの日々よりこのかた、あなたは罪を犯してきた(ホセ:10:9)」とあり、ギブアの日が最後の悲劇ではなかったようです。モーセヨシュアのようなしっかりした指導者を欠くならば、イスラエルも立ち行かなくなることを400年以上もかけて学ぶことになります。それでも、ギブアの悲劇のときにはイスラエルの民は主に伺い、責めるべきかどうか(23)、誰が最初に攻めるのか(18)という節目の判断を主の判断にゆだねたのです。ダン族もベニヤミン族も主の存在などどこ吹く風の様子ですが、現代に生きる我々もともすれば彼らと同じになる可能性があるという警告にも見えます。