マタイ3章 私のあとから来られる方は

マタ3:11「私は、あなたがたが悔い改めるために、水のバプテスマを授けていますが、私のあとから来られる方は、私よりもさらに力のある方です。私はその方のはきものを脱がせてあげる値うちもありません。その方は、あなたがたに聖霊と火とのバプテスマをお授けになります」
マタイはバプテスマのヨハネを「荒野に呼ばわる者の声がする(イザ40:2)」の預言の成就だと捉えています。ヨハネ自身もヨハネ福音書の中で「私は、預言者イザヤが言ったように『主の道をまっすぐにせよ』と荒野で叫んでいる者の声です(ヨハ1:23)」と言っています。イエス様がバプテスマを受けようとするときに、「そうさせまいとして(14)」とあります。あたかもイエス様の正体を知っているような書き方ですが、ルカの福音書には「おいでになるはずの方はあなたですか(ルカ7:19)」と尋ねています。バプテスマのヨハネ自身は、どこかで神の啓示を受け自分の役割を知らされたのだと思います。その役割とは主の道をまっすぐにすることです。律法には罪の赦しは、羊や山羊の捧げものをして犯した罪をなかったことにしてもらう方法が書かれています。しかし、それでは何度罪を犯しても人の心は変わりません。根本的に赦してもらいたいのなら「悔い改める」必要がありました。自分の犯した罪を悔いて、もう二度と同じ過ちを繰り返さないように心を一新することです。この悔い改めこそが主の道をまっすぐにすることで、イエス様と同じ内容でお互いを意識していました。