ダビデの勇士たち

2サム23:8「ダビデの勇士たちの名は次のとおりであった。補佐官のかしら、ハクモニの子ヤショブアム。彼は槍をふるって一度に八百人を刺し殺した」
歴代誌では800人は300人となっています(1歴11:11)。仮にサムエル記の数字を信用するなら、ヤショブアム一人を倒すためには1000人がかりでなければかなわないということになります。30勇士のほとんどは他部族や異邦人、寄留人たちでダビデが出身を気にすることなく登用したことがわかります(24-39)。そもそもダビデがサウルから逃げる際に、ダビデのもとに集まったのは「困窮している者、負債のある者、不満のある者たち(1サム22:2)」でした。その最初の400人(1サム22:2)の中に3勇士や、その他の勇士たちがいたのでしょうか?一度ダ ビデが遠征中にアマレク人に町を襲われ、女子どもがさらわれるという事件がありました(1サム30:1-18)。その際に200人が疲れて川を渡れませんでした(1サム30:10)。そのころには600人に膨れ上がっていた、ダビデの仲間ですが、川を渡れなかった200人には勇士はいなかったでしょう。そうするとやはり、最初の困窮、負債、不満の人たちの中に勇士はいたことになり、主の不思議な働きにより、ダビデに最高の兵士が最初に集まったのです。