わざわいを思い直そう

エレ26:3「彼らがそれを聞いて、それぞれ悪の道から立ち返るかもしれない。そうすれば、わたしは、彼らの悪い行ないのために彼らに下そうと考えていたわざわいを思い直そう」
主はしあわせと災いを思い直すことがあるようです。「思い直す」というフレーズは聖書の中でたびたび見かけます。ダビデがウリヤを殺した罪に問われ、主の使いがエルサレムを滅ぼそうとしたときに「「もう十分だ。あなたの手を引け(2サム24:16)」と言われ、わざわいを下すことを思い直されました。エゼキエル(エゼ24:14)、ヨエル(ヨエ2:13)、アモス(アモ7:3)、ヨナ(ヨナ3:10)などと預言者たちは、ある条件を満たさなければ主がわざわいや幸福を思い直さないことを伝えています。主が人を造られたときに、「あなたは、園のどの木からでも思いのまま食べてよい(創2:16) 」と語られて以来、人に選ぶ権利を与え、決してそれを侵害したり奪ったりすることはありませんでした。このことばは聖書に登場する、神が人に語られた最初のことばです。あくまでも人が選ぶものを尊重し、敬意を払っておられる主ですが、罪に対しては厳格なさばきをためらわないお方でもあります。主が思い直すのは、人が神のことばを選択したときです。