語られたとおりに

エレ40:2-3「侍従長はエレミヤを連れ出して、彼に言った。「あなたの神、主は、この所にこのわざわいを下すと語られたが、主はこれを下し、語られたとおりに行なわれた。あなたがたが主に罪を犯して、その御声に聞き従わなかったので、このことがあなたがたに下ったのだ」」
近隣諸国などでは、ユダ国は神の国であり、その預言者は未来のことを言い当てることが知られていました。侍従長はバビロンの人ですが、エレミヤが神のことばを語り、その通りになったことを理解していたようです。考えてみれば、エレミヤに語ったこの言葉はとても不思議なものです。彼はエレミヤを釈放しただけでなく、どこへでも行っていい、と告げるのです(5)。本来なら、神のことばが実現したなら、そのことばを語った預言者にもっと伺いを立てたいところですが、そうはしませんでした。実際にネブカデレザル王はダニエルを登用し、彼の夢の説きあかしを必要としました(ダニ4:18)。そういう意味ではエレミヤをバビロンに連れて行かなかったのは、背後に主が働いておられるという侍従長の 信仰だったのではないでしょうか?侍従長はゲダルヤが主に仕える忠実な男だったことも知っていました(9)。バビロンがやみくもに領土を広げるために攻撃したのではなく、綿密なリサーチをしていたことがうかがえます。