エペソ2章 生まれながら御怒りを受けるべき

エペ2:3「私たちもみな、かつては不従順の子らの中にあって、自分の肉の欲の中に生き、肉と心の望むままを行ない、ほかの人たちと同じように、生まれながら御怒りを受けるべき子らでした」
クリスチャンと言えども、元をたどれば誰も同じです。聖徒と呼ばれるペテロやヨハネにしても、イエス様に出会う前までは、肉の思うがままに歩んでいたのです。パウロにいたっては、イエスをキリストと信じる者たち、いわゆるナザレ一派を迫害していました(使8:3)。当時はパウロにとって、それが正義であり、神の前で正しいと思っていたのです。なぜそのことをエペソの人たちに、わざわざ伝えようとしたのでしょう。それはエペソという町が、異邦人の町であり、多くの異教の神が信仰されていた場所だったことが関係しています(使19:17-20)。キリストの十字架はユダヤ人だけのものでなく、エペソに住む人たちにも同じく恵みが与えられたのです(5)。ユダヤ人も異邦人もすべての人は、生まれながら神の御怒りを受ける存在でした(3)。それゆえに割礼がどうのこうのというのは、もはやキリストの前にあって何の意味も持たなくなりました(11)。行ないも意味を持ちません(9)。行ないはすでに神が用意されているので(10)、自分がはりきって信仰者になろうとしても無駄です。神は人とともに歩むことをお選びになったのです。