私は取税人のようではない

ルカ18:11「パリサイ人は、立って、心の中でこんな祈りをした。『神よ。私はほかの人々のようにゆする者、不正な者、姦淫する者ではなく、ことにこの取税人のようではないことを、感謝します』」
取税人の嫌われ方は異常なものを感じます。福音書には取税人と一緒に食事をしたことだけで、イエス様の人格さえ疑われることが記されています(マタ9:11など)。そもそもローマが高額な税率を設定したのに対し、それを徴収する取税人の手数料は決められていませんでした。それゆえ取税人は税に自分の利益を上乗せした金額を取り放題だったのです。彼らはローマの手先として嫌われ、少しでも近寄っただけでユダヤ人たちは逃げる有様でした。取税人ザアカイはイエス様に出会ったときに「私がだまし取った物は、四倍にして返します(19:8)」と言い、いったいいくら上乗せしていたかがうかがい知れます。一方パリサイ人は自分の正しさをアピールし、週に2度断食し、十分の一は収めていると言います(12)。それは一見パリサイ人に分があるように見えますが、イエス様の判断は違っていました。断食しようが、献金を収めようが、どんな善行も自分を高くした瞬間に、神の前から忘れ去れてしまうのです。